オス。
6.13は三沢光春さんの命日です。
ということで、簡単ではありますが、個人的三沢さんエピソードを書きたいと思います。
まず、三沢さんを知ったのはおそらくこのゲームから。
ちなみにこのゲームで私は「プロレス」というものを知ったといっても過言ではありません。私の中では通称「始まりのゲーム」と呼んでいます。
このゲームで三沢光春という存在を知りました。
オープロ2は2001年のゲーム。既にプロレスリング・ノアが旗揚げされています。
その後当時日曜深夜に放送されていたプロレスリング・ノア中継を見て実物が動いているのを始めて見ることに。当時はGHCタッグを小川良成と巻いていた時代。
さらにその後、ノアの大会に生観戦に行き、本物が動いているのを見ることに。
ただ生で三沢さんの試合を見たのは多分3~4回ぐらいかなぁ。当時は学生だったのでまだ観戦にそこまで行けてませんでした。
そして2009年6月13日に死去。
あの日はビックリしましたね。当時は今みたいにネットで大会の生中継を気軽に見れる時代ではなかったので(サムライTVとかのCSチャンネルは未加入でした)携帯のサイトで試合結果や速報を見るのが日課でした。
その日課の最中に三沢さんが亡くなったことを知りました。
すぐにTVをつけてNHKのニュースを見ると速報で流れていたのを今でも覚えています。
あとその時の週刊プロレスも売り切れしていたのも覚えています。
いつも買っていたコンビニにもなかったですし、大きい本屋に行ってやっと1冊だけあったのを買えた状況でした。
それだけ影響があったということですよね。
自分の中での三沢さんの印象は技の多さです。
「エルボー」「タイガードライバー」「エメラルド・フロウジョン」「旋回式バックドロップ」などなど。
特に好きなのは「エメラルドフロウジョン」と「旋回式バックドロップ」あとレア技の「胴田貫」も好きですね~。
入場曲の「スパルタンX」も好きです。やっぱりノア時代のピアノイントロからのスパルタンXが一番好きです。
ただ謎なのが2009年?あたりから急にバージョンを変えたんですよね。あれはなんでだったのだろうか?
試合でいえば、全日本プロレス時代の試合より、ノア時代の試合のほうが印象が強いです。(リアルタイムで見ていたからというのもありますが)
ドームでの武藤とのタッグ戦、2回目のドームの川田戦、丸藤との師弟対決、サモア・ジョー戦などなど・・・挙げたらキリがありません。
・・・と簡単ではありますが、個人的エピソード書いてみました。
もっと生で見たかったレスラーの一人ですね。もう少し早くプロレスを知っていれば・・・
いつまでも忘れたくない選手ですね。
See You Again...